2022年2月「楽しいこと!」

1年前の3月1日に本を出版しました。「おめでとう!」というメッセージをもらった次の日に私がコロナに感染(無症状でした)していたことが判明しました。茨城県の感染者数が今は4桁になっていますが1年前は2桁だったこともあり、あまりのショックで真っ暗な部屋の中で1、2時間うずくまってしまいました。どうしよう?どうして?何で?これからどうなるの?

頭が真っ白になって身体が冷たく小さくなっていく感じです。そんな時に卒園児からのメッセージは

「ゆうこなら大丈夫だよっ!」「何とか乗り切るでしょう!」

いやいやいやいや・・・・今回は無理 無理 無理 無理・・・

こんな状態な時に「ゆうこなら大丈夫だよっ!」となんて言われても簡単に「そうだよね~」「何とかなるよね!」何て返事ができるわけない!と思ったのですが・・・

 

あれっ?ゆうこなら大丈夫って卒園児が言うなら本当に大丈夫かも?と思い直しました。今までだって大変なことがあっても何とかみんなで乗り切ってきたわけだし・・・本当に何とかなるかも?

 

卒園児からのメッセージが最大の励みになり暗い部屋から脱出することが出来ました。

 

この時本当に『信じてもらえている』ってこういうことなんだな~と実感しました。

誰かに信じてもらえているから自分を信じることができる!という感覚です。

 

これは誰にでもいえることで、職場の人たちも友人も夫婦も親子も・・・人と人との関係なら同じことなのかもしれない。「この人大丈夫かな~?」「この子1人で大丈夫かな~?」など心配され続けていたら「あれっ?私って・・・僕って・・・本当にこのままで大丈夫?間違っている?」って自分のことが心配になってきて自信が持てなくなってしまいそう。

でも「ハイ!!大丈夫でしょ!!1人でもやっていきなさい!」と背中を押されたら「まっ・・・大丈夫かもしれない!よしっ!やってみよう!」って気持ちになって心配が減って自信が持てるかもしれない。

 

最近読んだ本〔ロバート・ツルッパゲとの対話 ワタナベアニ〕のあとがきに

 

(自分がしたいことをする。したくないことはしない。それを哲学と呼ぼうが、何と呼ぼうがどうでもいい。人が生まれて、死ぬ。スイッチがパチン、パチンと2回音を立てる数十年の間に、何をすべきか真剣に考えることは決して無意味じゃない。)

 

と書いてありました。

スイッチがパチン(生まれる)パチン(死ぬ)って・・・(笑)と思ったけど・・・

私の卒園児が就職したり大学生になったりしているということは私も年を重ねているということは事実なので・・・

本当にパチン、パチンなのかも??と思ったりしています。

 

「ゆうこさんは保育のことで悩むことあるんですか?」最近聞かれました。

「そりゃ~悩みますよ~」

 

・公園では裸足になってしまうこと

・給食中でも走り回って大騒ぎしてしまうこと

・お腹すいたー!お腹すいたー!と言い続けるのでおやつをあげてしまうこと

・野菜はいらない!と言って野菜は食べないこと

・雨が降ったらみんなで外に飛び出していって雨に打たれ大はしゃぎしていること

・冬でも裸になって遊んでいること

・ハロウィンでもないのにドレスをきていること

・ペンで自分の足や手に落書きしていること

・折り紙などの工作中は何があっても次に移行できないこと

 

ハイジってこんなに自由でいいんでしょうか?と思う時も度々ありますが・・・

子どもたちはめっちゃ楽しそうにしているし、本人がそうしたいのなら仕方ない・・・

と諦めています。

 

でもこんな風に過ごした5分 10分 30分 1時間 半日 1日 1週間 半月 1ヵ月 3ヶ月 半年 1年 2年 3年・・・を積み重ねていたら【楽しいこと!】だけで幼少期の思い出は埋めることできるかも?とも思っています。

 

もちろん楽しいことばかりでは大人の望む忍耐力や協調性は身に付かないだろうけど・・・

一生のうちに何度か起こりうるどうしようもない壁にぶち当たった時に

「大丈夫!楽しいこと!また必ず見つけられる!」

と自分で自分のことを信じられる大人になってくれるだろうと願って過ごしています!

 

 

2022年3月6日