2022年12月「父」

寒くなると去年の今頃のことを思い出します。去年は父の入所が決まるまで2カ所のショートステイを行ったり来たりしながら過ごしていました。コロナ禍もあってなかなか面会もできなかったのですが、玄関のところで話をすることは可能でした。ある日父の大好きなお茶とまんじゅうを持って夕方会いに行きました。
私の顔を見るなり「せっかくきたんだからもう帰っぺよ~まんじゅうはいらない!」と言いました。「いやいやいや・・・今日は無理・・・帰れないよ」と伝えたけど「何で何で・・・家に帰っぺよ~」と言って車椅子のまま外に出ようとしました。「もう!無理!寒いんだからっ!ほらねっ!」と車椅子のまま外に連れて行くと「お~寒い・・・」と言ったのですぐ玄関に戻りました。そして、この日父は家に帰ることを何とか諦めてくれました。
今思うと家に連れて帰ってくることは難しかったのでショートステイに預けることには変わりはないけど・・・父に対して何もあんな言い方しなくてもよかったんじゃないのか?もっと優しく言えなかったか?介護してあげているという上からの目線と日々の生活のうんざり感はどうにかならなかったのかなぁ~?毎日(誰でもいいので父のことをどうかお願いします。)と思う一心で動いていた気がします。
余裕がなかったんだから仕方ない。仕事もしていたんだから仕方ない。介護スタッフの人にも「忙しいですよね~お仕事大変ですよね~」と言われていました。でも父を迎えにいくと「よかったね~やっと帰れるね~」と父に声をかけている人もいました。父は毎回「うんうん・・・」と言ってにこにこ笑って車に乗っていましたが、私は仕事を言い訳に父と一緒にいる時間をなるべく減らしたい!そんな感じでした。
何でだろう?何でここまでうんざりしてしまうんだろう?母には感じたことのないうんざり感をどうして父には感じてしまったんだろう・・・ずっと考えていました。
やっぱり幼いときのことなんだよな~
色々思い出してきました。私は父のことが大好きでした。タクシーの運転手をしていた父が遅番の時は一旦家に戻ってきて夕飯を食べてからまた仕事に戻っていきまました。私は父が仕事に戻るのが嫌で「行かないで~」と兄と二人で追いかけたりもしていました。
小学2年くらいの時、母に「ゆうこ~お父さんと車洗ってたのか~?」と聞かれたので「うん!なんで?」と聞き返すと「近所の人がお父さんとゆうこが車洗ってたのを見てゆうこがすごく嬉しそうな様子だったよ!って教えてくれたからよ。」とのこと・・・
(うっわ~見られていた・・・嬉しそうだって思われた・・・私が父のことが大好きだってバレた。もう一緒に洗わない・・・)
と、この時強く決心している自分がいました。
こう書いてみると何で?どうした?ただ一緒に車洗ってただけじゃん・・・って感じだけど・・・当時、父は兄と野球したり、スポーツ店に買い物に行ったりするのが楽しそうでした。ずっと兄のことをいいなぁ~って思いながら過ごしていました。私からすると完全なる片思いです。
父と一緒に車を洗ってめっちゃ嬉しかったのも事実。
私の片思いが近所の人にバレてしまったのも事実。
バレたことが嫌で恥ずかしかったことも事実。
この日辺りから父への片思いをやめた!というか父への思いがさーっと引いていきました。もう追いかけても無駄ということもわかったので父と両思いになる!という期待は捨てました。
それから40年・・・ずっと反抗期だったような気がします。去年の今頃、父の介護をしながら「何でこんな大変で面倒な介護をやらなくちゃいけないのか!」「何でゆうこゆうこって私ばかり頼ってくるのか!」「何で家に帰りたいとかいうのか!私は仕事しているのっ!無理!」など・・・ずっといやいや介護をしていました。
そんな中・・・父が施設で倒れて救急車で病院へ運ばれた日。先生が「検査結果ですが・・・この数値で生きている人を見たことがありません。意識もあって話もしていますが、いつどこで何があってもおかしくない状態です。今のうちに面会した方がいいです。」とのこと・・・「えっ!?そんなに悪いの?」とびっくり。
次の日、兄と二人で父に会いました。「ごめんね・・・ありがとう。自由に育ててくれてありがとう。」と泣きながら初めて伝えました。父は酸素マスクを外せない状態なので話はできません。でも「あぁ~・・・うぅ~・・・」とこっちをしっかり見て何やら叫んでいます。そして私が泣き止んだら安心したのかその叫びもなくなり、最後はいつものように笑って「またね~バイバイ!」と手を振ってバイバイができました。
それから1ヶ月半後・・・天国へ旅立ちました。
亡くなる一週間前、のりこに「私は父に可愛がってもらってないってことはないと思うんだよね~」と言うと「今ですか~!?私はずっと前からお兄さんよりゆうこさんの方が可愛がられてるって思ってましたよ~!」と笑っていました。のりこはハイジで働き始めたときから14年間ずっとそう思っていたらしい・・・でもそんなこと言っても「ちがうっ!ちがーう!お兄ちゃんの方が可愛がってた~っ!」って毎回言うので、ゆうこさん本人がそう思っているなら仕方ないってとこだったようです!
父のことが大好きだったし父のことを求めていたし兄より可愛がって欲しかったし・・・父が私のことを思う以上に私の方が父のことを思っていたし・・・
例え父が私のことを思ってくれていたとしても私に勝てる愛情じゃないじゃん・・・
こんなことを40年も経ってから・・・
父が天国に旅立ってから・・・
今やっと冷静に考えて今やっと言葉で伝えることができて今やっと素直にハイジだよりに書くことができています。
人は後悔しないと変わらないんだなぁ~とつくづく思います。あの時、車椅子で外に出て「ほらっ!寒いでしょ!」なんて言わなければよかったなぁ~
もっと優しく声をかければよかったなぁ~父といるときもっと笑っていられればよかったなぁ~
このハイジだよりは下書きの段階であずみが最初にわかりにくいところはないかチェックします。翌日チェックを終えたあずみと話をしていると「ゆうこさんってこんなにじいちゃんのこと好きだったんですね~?読んでいてびっくりでした。」とあずみ。「えっ?!そうなの~?知らなかった?」とこっちもびっくり!
父への思いなど1㎜も感じさせない、いやいや介護でしたからね~そりゃそうですよね~
もし・・・幼い時「ゆうこが一番可愛いよ~」って言ってくれたら何かが変わっていたのかなぁ~?こんなにいやいや介護じゃなかったのかなぁ~?きっと父は私のことだって可愛かったはずなのに・・・伝えてこなかっただけで・・・というか伝わるまで伝えてくれなかっただけだろうなぁ~とも思ったり・・・後悔していることが私にも沢山あるように後悔していることが父にも沢山あったようにも思います。
子育てって介護に必ず結びつくものだと思っています。子育てが今大変かもしれないけど子どもにはめちゃくちゃ優しくしてあげてください。今子どもが求めていることはできるだけ叶えられるように応えられるようにして欲しいです。
例え自分は親にクリスマスプレゼントや誕生日プレゼントを買ってもらったことがなかった~とか自分が欲しいおやつは買ってもらってなかった~とか抱っこやおんぶをしてもらったことがなかった~とか泣いてたってガマンしなさい!って言われて泣かなかった~とか勉強しないとめっちゃ怒られて怖かった~とか色々思いはあるかもしれないけど・・・今できる範囲でいいので我が子には自分が親にやって欲かったことを全部やってあげてくださいね・・・
40年後?50年後?辺りに弱ってる自分に必ず返ってきます・・・
脅してますね~すいません・・・(苦笑)
でもこうやって父のことをハイジだよりに書いて何か感じてくれるひとがいれば父も天国で『いがっぺな~』って笑っていると思います!
2022/12/16