2022年10月「ビル」

子どもってちょっと誰かにぶつかっただけでも・・・
みんなより先におやつがもらえなかっただけでも・・・
仲間に入れてもらえなかっただけでも・・・
ドアを自分で開けられなかっただけでも・・・
気に入ったスプーンがなかっただけでも・・・
口を大きく開けて大泣き大騒ぎします。5、6才になると大泣きはしないけど嫌なことを誰かにされたら、その子をぐっとにらんで追いかけ回したりすることもあるし・・・怒りや悲しみや悔しさを、これでもかっ!っと表に出して周りの人に知らせてくれます。というか困らせてくれることが多いです。(苦笑)
その度に「またかよ~!」と思いつつ泣きたいだけ拗ねたいだけ、どうぞ~ご自由に~!としばらく見守っています。ハイジ以外の人からみると(可哀想に・・・放っておいて・・・何もしないの・・・?)と思われるかもしれないけど、泣きたい!拗ねたい!怒りたい!悔しい!という負の気持ちを表しているのに、すぐに大人が何とかしてあげてしまうと自分の負の気持ちに気付くチャンスを奪ってしまうってこともあるのかなぁ~と思い始めました。

今ほのちゃんパパに借りている本(子どもを信じること 田中茂樹さん)を読んでいます。
ものすごく納得いく話ばかりです。子育てに悩んでいる方は是非読んでみてくださいね。
本の中に「子どもの空腹の時間 排泄の自由を奪わないで欲しい。お腹を空かせないようにと気をつけることはお腹が空いた~!という感覚を奪っていること。トイレを失敗させないようにと声をかけ続けることは自分でトイレに行きた~い!という感覚を奪っていること」と書いてありました。
そうそう、子どもが感じ取る感覚を奪わないように見守れたらいいんだけど・・・これはなかなか難しいです。
特に大泣きされると大人まで泣きたくなる・・・って人も多いと思います。泣かれると嫌なのよね~ かわいそう・・・悪いことしているみたい・・・責められている感じ・・・
自分の分身でもある我が子のことは手にとるようにわかってしまうから、辛い思い悲しい思いはさせたくないし、人生は楽しいことや嬉しいことでいーぱいにさせてあげたい!・・・そして子どもが大人になった時、「幸せ」って言ってもらえないと自分が責められた気持ちにもなってしまう。責任を感じてしまう気がします。

子どもが伝えようとしているところを大人が先に奪ってしまうと、子どもが大人になった時、怒りや悲しみを周りの人に伝える手段が難しくなってくるような気がします。大泣きすることで、自分のことを周りの人にもわかってもらえるチャンスでもあるし・・・
でもそれより何より私ってこんなことで怒るんだ~!こんなことで悲しむんだ~!と自分で自分のことがわかるようにもなると思っています。
子どものうちから泣かないで怒らないで過ごしていると(穏やかな子ね~)(手のかからない子ね~)(この子は大丈夫だね~)と思われてしまう。大人としたら泣かないで怒らないでいてくれた方が家事も仕事も出来るから楽かもしれない・・・何より自分の気持ちが子どもに持っていかれることはないからいつも平穏な気持ちでいられる・・・

子どもは成長していけばいくほど、パパやママが怒るから怖くて泣かなくなるというよりパパとママが悲しむのが嫌だから泣かない。というか泣けなくなってしまうことだってあるんだろうなぁ~と思っています。

そして・・・小学1、2年くらいまでは怒っていても泣いていても、おもちゃや食べ物や遊びにいく場所などで、すぐにケロッと切り替えて機嫌が直ったりします。習い事だって何かと引き換えに条件を出せばスムーズにいってくれたりしますし・・・
大人は子どものためと思ってやってあげていることなので自分がレールを敷いていることにも気がつかないし、子どもはそのレールに乗っていることも気がつかなくてみんなで楽しく過ごすことができてたりします。

が・・・小学3、4年生くらいになると周りのことがよく見えてきて、自我が一気に芽を出す頃なので「あれっ?何?今まで何やってたの?こんなの嫌だった!やりたくない!僕は僕!私は私!」といった感じに自己主張が強くなってくることが多くなります。
子どもの主張以上に大人が強く主張して子どもの主張を抑えることができれば、また大人の敷いたレールに乗せることができるので、大人は元通りに戻れるけど・・・子どもは主張したけど押さえられたという現実を心の中に抑えこむことになるので今までにないくらいの失望感とストレスを抱え込むことになるのではないかと思っています。

ちょっとこんな話を聞きました。
(意識をビルの60階まで上げてみるのと1階にいるのでは全然違う。60階に行ってみたいと願うことを忘れずにいればいつか60階に辿り着けるようになる。)

ビルのことをずっと考えていました。60階70階80階100階・・・ずっと上にいくと神様とか天国とか仏様とか・・・誰もいったことのない自由な場所に近づいていっている感覚かな~?
子どもは生まれてすぐに誰も教えていないけどおっぱいに吸い付いていきます。そしてお腹空いた~!と泣き叫んで・・・眠くなった~とグズグズ泣いて・・・うんちもおしっこも周りを気にせずドンドンしちゃって・・・抱っこしてもおんぶしても全く泣き止まなくて・・・

でも何もしていなくてもニコニコ笑いかけてくれたり、大したことしていないのに大笑いしてくれたりするし・・・こう書いてみると生まれてすぐって60階辺りにいつもいて一番自分らしく自由に過ごしているのかもしれない。嬉しい楽しい悔しい悲しいって気持ちを表に出しまくって本人はスッキリ!周りの人たちは赤ちゃんの表情を見て、今何がしたいか?どうしたいのか?読み取りながら過ごすしかないので大変ですが・・・

それでも数年が経つと卒乳ね!と言われ卒乳をすることになったり・・・トイレトレーニングしようね!と言われ一人でトイレにいくことになったり・・・ご飯は一人で食べてね!と言われ、自分で食べることになったり・・・そのうち泣いたら「泣いててもわからないよ。話ができるんだから話して!」なんて言われて・・・勉強しないと「やらなくて大丈夫なの?」と急かされたり・・・などなど・・・どんどん自分らしく自由に過ごしていた時間が減っていく・・・60階から50階40階・・・と自由度が下がっていく感覚。

意識が60階にいる時に誰かに何かを言われたり裏切られてへこんだとしても意識は50階くらいに下がってしまうかもしれないけどすぐに回復できそうな気がする。
意識が1階にいる時に誰かに何かを言われ裏切られてへこんだとしたら意識は地下に潜るしかない。真っ暗の中で閉じ込められて何も見えなくなる。つらい・・・悲しい・・この先真っ暗・・・

子どもって大泣きする、大騒ぎする、拗ねる、動かない、朝起きない、ゲームをし続ける、勉強しない、学校へ行かない・・・などなど。(大人のいうことを聞かない!)という手段で大人を困らせたり泣かせたり悲しませたり悩ませたりしてきます。
子どもの問題行動ってビルの階段を(僕は・・・私は・・・これ以上、下には降りないよ~!)というメッセージのような気がします。自分のことが自分でわからなくならないため。自由を奪われないために階段を降りるのをやめる。

大人は年相応の子たちが大勢いる階に自分の子も連れていきたい!
でも・・・こっちがどれだけ頑張ってもいくら我慢しても子どもはもう階段を降りてこない。「早くこの階段を降りなさい!」など子どもに言い続けることも疲れた。もういいよ・・・好きにしなさい。と本心から諦めたとき、初めて子どもの心がわかるような気がします。

そして子どもが下に降りてこないなら自分が上がっていくしかない・・・そう思って階段をゆっくり上ってみたら(あらっいい景色~周りもよく見えるし下の階の人たちの行動も見える。上の階の方が自分らしくいられて自由なのね~)ってことに気づかされるかもしれない。

これって子どもの問題って決めつけていたけど・・・自分の問題?私がつらい?私が悲しいの?私が我慢してるの?私ががんばり過ぎているの?
子どもって下の階で悩んだりしている大人や、悲しい時に悲しめない大人や、泣きたいのに泣けない大人のことを『僕が・・・私が・・・なんとかしなくちゃ』と思って階段を降りないで立ち止まってくれているような感じがします。

こんなことを言っているけど・・・自分はどうなんだろう・・・??
意識を60階にもっていけているんだろうか?いやいや1階でジタバタしていることが多いな~。というか1階から60階まで走り回っている感じ!あっちもこっちも気になって自分が疲れていることにも気がつかないで動き回っている感じ。でもこの性分は変えられないかも?とも思うのでこのままやっていくしかないんだろうけど・・・でも当たり前と思っていたことを少しずつやめていこう!と思い始めました。2005年から17年間毎月書いていたこのハイジだよりを月に1回など決めないで自分の気分のまま書きたい時に書こう!
ハイジの人はもちろんハイジ以外の人も読んでくれて共感してくれることが多くなり超張り切って書いていたけど・・・
この張り切り方では続かないなぁ~と今回のハイジだよりを書いて実感しています。

私以外の人も、自分はここまでやらないといけない!この前までここまでやってきたんだから次もできる!みんなの期待に応えたい!など・・・何かにこだわってがんばることを自分で決めて自分で背負い過ぎている人って多いと思います。というか殆どの人がみーんな何かしらにこだわってがんばって何かを背負って過ごしています。でもこれも周りの人からすると(そこまでしなくても・・・そんなにがんばらなくても・・・)と思われることが殆どだったりします。
どうやったら自分が楽しく笑って楽に過ごせるか・・・本気で考えてみるのも必要なのかもしれないです。

先月は本当に大きなきれいな虹が出ました。みーんなで外に走っていってみーんなで見ました。忙しい私はすぐに部屋に戻ります。しばらくしたらひかちゃん(2才)が「虹まだあるか見てくるね?」と言って外に行き、すぐに戻ってきました。「もうなかった・・・」と言っています。(そりゃそうだ・・・あるわけない・・・)と心の中で呟きます。
そして「虹って誰が作ったんだろうね~」ですって!(笑)

子どもの存在って大変なことの方が多いけど・・・たまに一気に60階まで連れていってくれるときがあります。ありがたいです!

2022/11/11