2020年1月「変わる」

毎年1月に少し遠くの神社に行きます。景色の良い土手があってそこをみんなで走ります。あーちゃんが「雲の上にいるみた~い!」というので「えっ?何で?」と聞き返すとみんなが「だって遠くに見える雲と同じ高さじゃん!」と言っていました。寝っ転がった時は「ここに絵描けるね!」とりん君。雲ひとつない真っ青な空を見て空に絵が描けると思ったようです。

 

同じ週の日曜日も同じような真っ青な空で晴れ晴れした天気でした。

でもあっちもこっちもやらなくちゃいけないことがあります。「まっいいか~やらないでどこかいっちゃおうかな~?」と思ったけど、やらないとまた次の日も次の日も、頭の隅っこにやらなくちゃいけないことが残ってしまいます。こんなにいい天気だけどがんばってやろう!と思って朝起きてリビングへ。

すると「ばあちゃん(母)が(けんちん汁作るから里芋と豆腐を買ってきて欲しい。)って言ってたぞ。」父が言っています。母はこの日デイケアに出かけました。

私は父に「わかった」と応えます。日中どこかに出かけた時のついでに買ってこようと思っていました。
母がいない平日の2日間は父が一人でテレビを見たり掃除をしたり日なたぼっこしたりして過ごしています。一人で大丈夫かな?つまらなくないのかな~?など思いつつ、日なたぼっこをしている父の近くで朝ごはんを食べました。「さぁ~何しようかな~?」と食べ終えて箸を置き立ち上がると同時に「里芋と豆腐を今買ってきてくろよなっ!」と父!

「えっー今??」私がご飯を食べ終わるのを待ちに待ってからの発言です。

父は里芋を洗って干しておく。ということを今やりたいようでした。

「別に今じゃなくてもいいじゃん!」と言いつつ買って来るまで里芋は?里芋は?と言い続けることも知っているので「わかったよっ!!」と怒りながら財布だけを持って外に飛び出し近くの売店に買いに行きました。

もちろん車中で「何で今?今日ならいつでもいいじゃん!今すぐ作るわけじゃないのに」とブツブツ文句ばかり出てきます。経った10分くらいのことなのにどうしてこうも血が繋がっている親には文句を言ってしまうんだろう・・・もし他人のお願いなら「ㇵ~イ!」と言って外ずら良く出かけていくのかもしれません。しかも「ありがとう!」と言われ誰かの役にたったことに朝からご機嫌で過ごせるかもしれないのに・・・

 

こんなこともありました。父が検査入院のため私が付き添いました。連れて行ったらすぐ帰るつもりでしたが、看護師さんが「先生の話があるのでしばらくお待ちくださいね。時間はわかりませんが昼過ぎになる可能性もあります」と言っています。「えー!!聞いていないよ~!朝一で入院させたら帰っていいんじゃなかったの?」と少しびっくり・・・娘なんだから残るのが当たり前でしょ!家族なんだから心配するのが当たり前でしょ!ってとこなんだろうけど・・・

 

そう!これが親子です。保育園でも同じです。子どもが熱出たんだからすぐ帰ってくるのが当たり前。子どもがやってしまった過ちを親が謝るのが当たり前。子どもが辛い状態になったら守ってあげるのが当たり前。泣いているんだから泣き止ませるのは当たり前。抱っこしてって言っているんだから抱っこするのは当たり前。家族なんだから責任を負うのは当たり前。

一人でご飯が食べられない おっぱいもやめられない おむつもさっぱりとれない 野菜は食べずおやつばかり食べたがる 友だちの物を奪う ケンカばかりする 大人しく座っていられない 勉強が出来ない 成績も伸びない などなど・・・・

自分の思った通りの成長をしてくれないと不安や焦りや怒りとなって出てきてしまいます。

 

でも本当は・・・

一人では何もできない子になって辛い思いをするのかも?

友だちが一人も出来なくて淋しい思いをするかも?仲間外れにされちゃうかも?

みんなに勉強ついていけなくて可哀想な子になってしまうかも?

勉強できないと将来ちゃんと仕事も出来なくて困るかも?

などなど・・・

子どもの将来を心配する強い優しい気持ちだったりするはずなのに本当の気持ちとはウラハラなことを言ってしまう。表面上は不安や焦りや怒りだけしか見えないので子どもにはさっぱり伝わらず逆にギャーギャー泣かれたり暴れたり嫌われちゃったりしてもったいないような気がします。

 

私は母に対しては優しく出来るのに父に対しては文句ばかり言っていてどうして優しく出来ないのか?といつも思っています。

テレビである人がお母さん達を対象に講座をしていました。その方はこんなことを話していました。

「老人ホームにいると、ここにいるおじいちゃんおばあちゃんがどんな人だったかわかります。親になった時、子どもにどう接していたか?例えばペットボトルの蓋を開けたままにしていると(どうしてちゃんと閉めないのっ!)と怒りながら閉める人と、(ちゃんと水分採ってる?)と優しく言いながら閉める人と二通りに分かれるそうです。やってきたことは必ずやり返されますよ~!今我が子に優しくしてあげてくださいね~必ず自分に返ってきますよ~」と言っていました。

 

あ~これだな~私も・・・小さい時からずっと父は兄ばかり大事にしている!といつも思って過ごしていました。40年経った今もあの時の気持ちは変わらないんだな~と思っています。

でもこんな話をのりこにすると

「いやっ!でも今ゆうこさんが優しい気持ちを伝えられていないって言いますが、じいちゃんに本当は全部伝わっているかもしれませんよ~!口が裂けても優しい言葉を言えないゆうこさんを全部受け入れているかもしれないですから!これはじいちゃんしかわからないことです!」と言っていました。

 

のりこのお父さんは8年前に他界しています。きっと親と会えなくなった人にしかわからない大事な気持ちや答えを

のりこは知っているような気がします。

私もいつか心の底から「大丈夫?」と優しく父に伝えることができる日がくるのを待ってみようと思います!

 

ハイジのホームページをリニューアルするのでハイジを始めた時の理念を読み返しています。ごあいさつの部分に

『子どもの側に身を寄せた保育園でありたい!』と書いています。

が例えば子どもの味方となると親は敵になります。こうなると自分の理念に合わない子どものいる人が全員敵になってしまいます。敵が多いと必然的に強さが必要で、必然的に強くなるしかない状況になります。その強さのあまりこの考えについてこられる人はいなくなり結局は一人になる。でも、もし一人になっても子どもは味方なので大丈夫!!

でも・・・その子どもが親になったらまた敵になってしまうかもしれない。全員を敵にすることなんてバカバカしい!それなら全員を味方にしたい!!子ども側とか親側など決めないでみんなに寄り添える人になれたらいいな~って今は思えます。

人の根本は変わらない。歳を重ねれば重ねるほど変わらないって思っていたけど、変わらないはずもなく変わらないわけにもいかないことにこの冬48才になる今、気が付き始めています!

 

とはいえ究極の選択になったらもちろん子どもの味方でありたいです!!