2019年9月「母親」

今、母と子についての絵本を作っています。私にとって母親の存在ってどんな感じなのかな~?とずっと考えて過ごしていました。

小さい時のことを次々に思い出します。家族のために生きているといっていいほど家族を大事にしてくれている母なのですが今思えばとんでもないことを近所の人に言っていたことなども思い出しました。この話は私が大人になってからのことです。

刺身を買いに近所の魚屋さんに行きました。予約していて出来上がっていた刺身を見て母が「これ筋が多いから違うのにして!」と言っています。お店の人は困っています。すると後ろにいた若い主婦の方が「んじゃ家がその刺身もらうよ~」と言って買って行きました。お店の人は「ありがとうね~」ととても感謝しています。それからの数分間。筋のない刺身を待つ私と母。車に乗った途端「何であんなこと言うの?お店の人困っていたじゃん!もう二度と

一緒に行きたくない!」と言うと平気な顔で「だって筋がない刺身食べさせたいじゃん!」という母・・・もう何も言えませんでした・・・

 

そんなことを考えながら眠ると次の日母の夢を見ました。

足が弱い母が電車に乗って出掛けるために小さな駅にいます。なぜか母は網を2本持っていてどこかで虫取りをするつもりのようです。それはそれは楽しみにしているらしくニコニコでした。が・・・駅員さんに足が弱い人は電車に乗れません!と言われ母はとっても残念そうにトボトボ下を向きながらあぜ道を歩いて帰るところです。私は悔しくて泣いてしまいます。母には泣いている所を見せないように母の前を歩いていました。

 

というところで目が覚めました。本当に泣いていました。

私はこうやってどんな母も受け入れてきたし今もこうやって受け入れていると思っています。

これは私だけでなく子どもになった人すべてが受け入れていること、受け入れようと努力していることだと思っています。例え今関係が上手くいってなくて疎遠な状態でも、表面的に合わせて過ごしている状態でも大きな葛藤は必ずあって、何とかすり合わせようとするのは母親の全てを認めたい守りたいと思っているからであって、これが何とも思っていない人なら他人のように淡々と上っ面だけ合わせてそこそこに関係を築いていけばいいわけで・・・でも母親のことが大好きだからそれが出来ないから、もがいて苦しむ時期があったりするわけで・・・

 

誰にとっても母親はとてつもなく大きな存在と思っています。

しばらく前あずみが子どもとの関係で「合う合わないはあると思います」と言いました。その後しばらくして話を聞くと「母は兄のことは可愛がったけど私のことはそんなに可愛がってくれなかった。でもこれは仕方ないことで誰だって合う合わないはあるものなんじゃないですか~?」という考えでした。私は大人の方が合う合わないを決めるのは良くない・・・そこでしか生きられない立場の子どもにあなたとは合わないからね~と言い切ってしまったり、そういう思いをさせるのはダメ!!そんな思いをさせたあずみのお母さんは良くない!今からあずみのお母さんに電話して文句言うわ~!と言ったことがあります。いやいやいや!止めてくださ~い!今更いいですから~!と笑っていたあずみ!あれから数年経った今は母を守る優しい娘のあずみがいます。

 

この前子ども達と「ずるい!」という話になりました。ずるいと思うとはっきり言う子。ずるいと思うけど絶対言わない子。ずるいってそもそもあんまり思わない子。それぞれ違います。

みさちゃん(年長)ママとずるいについて話をしました。

みさちゃんママは「私は長女だけどずるいって言ったり思ったり感じたらそれで終わりだからそう思わないようにしてきたんです。しっかりと母の敷いたレールに乗ってきました。ピアノも短大になるまで続けたのよー!でもみさきはピアノを3ヶ月で辞めたわ~!」と・・・

私は「みさちゃんはレールを敷こうとするとパキパキって折っていくよね~」と二人で笑い合いました。

 

しばらく前にみさちゃんのママとみさちゃんを幼稚園に行かせるかハイジに残るかで話をしました。その時小学校に上がった時、誰も知り合いがいないと可愛そうかも?とみさちゃんママが言っていましたが、私は「ハイジでめいいっぱい遊んでめいいっぱいケンカしてめいいっぱい仲直りして、どんな自分も認めてくれたという自信が付けばどこに行ったってやっていけるし、自分が一番かわいい!一番優しい!って思っているからみんな自分のことを好きって思ってくれるはず!って思い込むから友達もすぐ出来ると思うよ」みたいな事を伝えました。

この夏近所の子たちと集まりがあってみさちゃんが自分からすーっとその中に入って遊んでいたそうです。

レールに乗ってきた人が我が子にはレールを敷かないで生きていくということは相当の覚悟と不安と怒りと焦りと我慢と・・・負の感情が飛び出してしまうと思います。
自分が育った環境と違う環境で我が子と生きていくことを決めるということは大きな覚悟と大きな諦めも必要なことも少しずつわかってきました。

 

母が週に2回通っている老人ホームの職員の方(2人)と私と母の4人で書類作りのために30分ほど集まることになりました。

全てに満足している様子の母なので話はスムーズに進みます。最後に何かありますか?と聞かれたので「ありません」と私は答えます。すると最後の最後に母が急に「淋しくなっちゃう」と言いました。「えっ?何?どうした?」と焦る3人!すると「○○さんが他の老人ホームに移動になっちゃうから淋しい。せっかく名前も覚えたのに・・・」と言いました。

目の前に座っているケアマネの方が移動になることが決まっていたらしく会えなくなるのが淋しいということでした。ケアマネの方は母の手を取り「大丈夫!また遊びにくるよ~!」と優しく言ってくれていました。

私は母の居場所があってよかったな~と安心しました。

 

子どもはどんどん成長していきます。大人が子どものレールを敷くより、どんなに細い壊れそうなレールだったとしても大人が自分で自分のレールを敷いて歩く姿を見せることの方が子どもにとっては安心や自信に繋がると思っています。

 

このハイジたよりを読んでのりこが自分と母親について考えてみた。と言っていました。ある人が親と子について話しているユーチューブの動画を見つけたらしく私にも聞かせてくれました。母親のことを「絶対間違いない!」と思うのは母親を神様と同じ存在であって神様を信じないと自分も信じることが出来なくなる。という内容でした。

5分くらい聞くと母親という重荷が尋常じゃないほど重くて大変なこと・・・段々がっかりしてきました。
が最後の最後には母親は『ただのおばさん』です。と言いました。妙に納得です。

母親のことをただのおばさんって気付くのが早ければ早い程、母親を愛したり守ったり許したり母親に縛られない左

右されない人生を送れるんだろうな~と思いました。

出来るだけ早く母親という重荷から『ただのおばさん』に移行する!

完璧な人じゃないこと。だら~って寝っ転がること。手抜きの夕飯にすること。いつも感情をひた隠して過ごすより感情のまま動いてみること。母ちゃんって子どもみたい!って思われることを許せること!許せるようになること!

そう思えたら子どもは私たち大人の上を軽々越えていくことになると思います!!