2019年6月「自由保育」

自由保育って何なのだろう?!と考えています。自分の思った通りに動く子ども達・・・それを認めて出来るだけ一人一人がやりたいことを出来るように大人は動いています。自由を保障してあげたい気持ちはいつも持っています。

でもでも・・・・

 

① どうして「すずめが来たー!」と言って裸足で飛び出してすずめを追いかけ回すんだろう?「今すぐ砂遊びやりたい!」「今すぐ三輪車乗りたい!」など急に思い立って裸足で外に走って行っちゃうんだろう?(ちゃんと足洗ってから戻ってきてよねー!夕方迎えにきた父兄の方達はいつも足の裏に砂やゴミなどで付いてザラザラになっているんだからねー!)

② どうして給食の時、テーブルより高い椅子をわざわざ運んできて、その上に座って食べるんだろう?(背中を丸めて食べにくそうに食べています。バランス悪いしこぼしまくるしー!)

③ どうして眠いのに寝ないんだろう?(寝たくない!寝たら負け!眠くても遊ばなくちゃ!とでも思っているらしい・・・子ども達が一斉に寝るために部屋を暗くしてお布団でごろごろして背中をトントンしたら寝てくれると大人は楽だけど抱っこしてもおんぶしても絵本を何冊読んでも寝ない子は寝ない・・・)

④ どうして服にこだわるんだろう?(裏表が逆!暑い日に長袖を着る!水着のまま一日中いる!シャツを3枚着る!ズボン3枚履く!冬のダウンを持ち出して着る!ブーツを履く!転びそうなサンダルを履く!)

⑤ どうして「今ドッチボールしよう!」「今ウノやろう!」「今バッタ取りに行きたい!」「今アイス食べたい!」「今絵本読みたい!」全てが今なんだろう?(今、給食食べ終わったばかりで部屋中ご飯粒だらけなのにー!今散歩から帰ってきたばかりなのにー!)

⑥ どうしてそんなにセロテープも、ガムテープも、折り紙もアイロンビーズも出すんだろう?(テープをビーッと思いっきり1mくらい引っ張るのは楽しいんだろうな~この前買ったばかりなのにな~アイロンビーズだってたくさん出すけど、全部こぼした時に拾うのは大人なのにな~

⑦ どうして雨が降ると外に飛び出して行くんだろう?(雨の滑り台の方がスピードが出て楽しいらしいが、見守る大人はハラハラしてしまう。雨の日はお部屋で大人しく遊んでくれると着替えもしないから、洗濯物も出ないし部屋も汚れないのにな~)

 

こんな自問自答が永遠に続きます!だからって(一斉)に全て大人が決めて細かいルールに従わせると楽しいことが全部なくなってしまう。ウキウキワクワクの気持ちがなくなってしまうのは絶対に嫌だし・・・なら仕方ないじゃん!自由に過ごしてもらうしかないじゃん!でもこんな風に愚痴ってしまうのは私だけかも?

〇〇してー!〇〇しないでー!〇〇はだめっ!など言っているのは私が一番多いかもしれません。これは責任がある立場にいるのだから仕方がないことと諦めてもいます。

 

しばらく前の土曜日も、めいいっぱい遊んだあとの残骸があっちもこっちにもありました。

「はぁ~ハイジって本当に自由でいいところだよね~」と独り言のようにつぶやくとそこにいたしん君が「ゆうこがいなければね」とこれまた独り言のようにつぶやきました。

ひぇー!ふざけるなー!(笑)と思ったけどこれは全員の意見かもしれないです!

子どもって自由になれると、これでもかっ!と、とことん自分の要求を打ち出してきます。

こっちが全ていいよ!いいよ!何て言っていたら頭がおかしくなってしまいます!

最近、立ち読みしていて幡野広志さん(写真家で2歳の息子さんがいて2017年にガンが見つかり余命3年と宣告された方です)の『ぼくがこどものころほしかった親になる』を手に取りました。「失敗させる優しさ」というページが目に飛び込んできました。書いてみますね。

 

~ネットで人生相談を受けるようになってから、あまりに多くの人が「やりたいことが見つからない」と悩んでいると知った。なぜそんなことになったのかと尋ねると、とても多かったのが「親が全部決めていました」 という人たちだった。学校や進路という大きなことから、部活や習いごと、洋服、趣味、あげくには「ファミレスで何を食べるか」という小さなことまで、親が決めているケースがほとんどだった。我が子には失敗させたくない。間違いない、ベストの道をいかせてあげたいという親心なのだろうか。そういえば、家族とスーパーに行くと、よく見かける光景がある。「それじゃなくて、こっちにしなさい」子どもが選んだものを否定して、自分が良いと思ったものを押し付けるのが親の姿だ。それはたかがお菓子だけれど、親の「そっちじゃなくて、こっちにしなさい」は、やがてファミレスのメニューになり、洋服になり、学校選びになり、部活や習いごとになり、付き合う友だちや彼女、彼氏におよぶ可能性もある。こういう親が、子どもの就職先や結婚相手まで「間違いのない選択」を押しつけてもなんら不思議はない。仮に「そろそろ大人なんだし、自分んで選ばせないと」と親が考え直したとしても、小さなところで選ぶ練習ができていない子どもは、失敗が恐ろしくて自分で決断できない。「これをやりたいと」と思う以前に、「自分で選んで決めて、もし失敗だったらどうしよう」と怯えてしまうのだ。こうして「やりたいことが見つからない」人ができあがる。~

 

そう!これだ!ハイジで今やっていることって『自分で全てのことを選択している』っていう経験をしているってことだー!そうか~!それなら仕方ないね~!このまま突き進んでもらいましょう!と妙にこの保育を続けていこう!と腹をくくった気分になった一日でした!

 

2年前の夏休みに小学生が遊びに来ていて何やら揉めています。大人が介入しない分、子ども同士の中で揉めると自分で何とかしなくちゃいけないのである意味厳しい状況にもなります。一人の子が何かやったらしくみんなに責められています。1人対10人くらいになって全員で1人の子に文句を言っていました。私が部屋に入ると「大人には関係ない!あっち行ってて!」など言われましたが「大人とか子どもは関係ない!私がここに居たいの!」と主張します。そしてこうなった理由を聞いた後「今は1人の子が悪かったとしても許せる力はあるでしょ!ここにいるみんなはハイジで自由に育ったんだから!ハイジで沢山のひとに可愛がってもらったんだから!それくらい許せる優しさはあるでしょ!というかあるに決まっています!よくみんなで考えて!」と宣言して部屋を出てきました。

その後話し合いをしていたようで15分もするとそれぞれ遊んでいましたが・・・

結果の出ない(子育て)いうか(自分育て)は大丈夫大丈夫!と自分を信じることしかないのかもしれないです。

 

話は変わるのですが、この前名古屋に行きました。泊まる所は駅から出てすぐのビジネスホテルだったのですが、出口を間違えてしまい人がいっぱいいる繁華街の辺りをウロチョロしてしまいました。ナビを使って検索しますが、矢印の方に歩いても歩いても同じ場所に戻ってきてしまいます。スマホのナビも使いこなせないのか・・・と半泣き状態です。意を決して女性2人に「このホテルどこにあるかわかりますか?」と聞いてみました。が「地元じゃないのでわかりません」と言われてしまいました。近くにいた20歳くらいの男の子が居酒屋のチラシを配っていました。「あの~このホテルどこにあるかわかりますか?」と聞いてみると「えっ?どこですか?」と自分の携帯で探し始めてくれました。そして「あっ!わかります!こっちです!」と言ってどこまでも歩いています。「大丈夫?仕事中でしょ?」と聞くと「大丈夫ですよー!」と言って結局ホテルが見えるところまで送ってくれました。「ごめんね・・・居酒屋にはもちろん行けないけどありがとうね!仕事がんばってね!」と言って頭を下げると「全然いいっすよ~!」と走って戻って行きました。

あ~よかった!無事ホテルに着いた~!見た目はちょっとチャラそうだったけどあの子に声かけてよかった~!と思いました。

ハイジの子もこの先大きくなった時、近くにいる親や先生には迷惑をかけてしまったとしても、弱っている人や困っている人には絶対的な優しさを伝えられる人になって欲しいな~、というかなるに決まっています!
ねっ!大丈夫ねっ!信じようっと!笑