2018年5月「ありがとね!」

5月、晴れた日の年長さん年中さん9人の全体ノートです。 あずみ記

 

今日はくもの巣公園がいい~!とあやちゃん、ひなちゃん、あおちゃん、ゆう君、けい君。「どこでもいい」とみさちゃん、あーちゃん、しょう君「かつらぎ公園がいい」となみちゃん。ということで、かつらぎ公園に行ってからくものす公園に行くことにしました。かつらぎ公園の近くまで来た時「あっ!かめ!」とみさちゃんが道路でひからびているカメを発見!みんな戻って来て「かわいそうだね、、、」とじーっと見ています。カメの隣に血のようなかたまりがありアリがたかっているのを見て「カメさんひかれて中身が出ちゃったのかな~」「でも甲羅は割れてないからひかれたんじゃないよ!」「あ!熱くて動けなくなっちゃったんじゃない?」と推理が始まり、「そうだ!お水の中に逃がしてあげようよ!そしたら元気になるかもよ?」「うん!そうしよう!ちょうどかつらぎ公園に池あるしね!」とみんな!「どうやって持っていく?」と私。「袋で掴んで袋に入れる!」とあおちゃんが率先してカメを掴んで袋に入れると「早く行こう!」と足早に公園へ。池に行くと「ここじゃ深すぎるよ!」とひなちゃん。「鯉が食べてオエッてなっちゃうかもよ!」としょう君。「んじゃどうしよっか~」と私。「松見公園の池なら浅いところあるよ!」とひなちゃん。「いいね!んじゃ今から行こう」!とみんな。「結構歩くけど大丈夫?くものす公園は行かなくていいの?」と確認すると「カメさんのためなら歩ける!」とあやちゃん。黙っているゆう君、みさちゃん、けい君、あーちゃん、しょう君に「行ってもいい?」「歩ける?」と聞くと5人共「いいよ!歩ける!」との事。

みんなで相談していると遊びにきていた他の保育園の子達が「何しているの~?さっき僕達も同じカメ見つけて逃がしたよ!」と集まってきてしばらく交流、、、その間「ドレスかわいい~」と白雪姫のドレスを着ていたあーちゃんは女子数人に囲まれていました。(笑)そして「行ってくるね~」「バイバ~イ!」と他の園の子と別れ、松見公園に向けて出発!「カメの大冒険みたいで楽しいね!」となみちゃん。今日も暑いけどみんな春日公民館から松見公園の歩道をほぼ走って元気いっぱい!あーちゃんとゆう君は私と手を繋いで「みんな速いね~」と後ろからゆっくり行きます。カメはずっとあおちゃんが持っています。公園に着くとカメを逃がす場所を吟味、、、「ここは鯉の方に流されちゃう!」「ここは深い!」「ここはあそこ(排水溝)に流されちゃう!」とみんなカメのために真剣です。ぐるっと一周して「ここなら鯉の方と繋がってないし流れも強くないし浅いしここでいいんじゃない!」となり袋を持っていたあおちゃんが逃がそうとすると「あおちゃんだけずるい!ずっと持ってたし!」とあやちゃん。あおちゃんは何も言い返さずだんまり、、、私が介入してみるとだんまり、、、「どうしたらいいと思う?」とみんなに聞くと「あおちゃんがずっと持ってたからあおちゃんが流した方がいい」とゆう君。あーちゃんは「あやちゃん」他のみんなは「二人で流したらいい」それを聞いてあやちゃんが「二人ならいい、、、」と折れるもあおちゃんは「二人でもやだ」ずるいと責められた事に怒っています。そのうちみんなが「早くカメさん袋から出してあげないとかわいそうだよ~」「早く遊びたい~」「お腹空いた~」となり、、、「もうあおちゃんが逃がしていい!」とあやちゃん。不服ながらに折れるあやちゃんに「あや、えらいね」となみちゃん。「あやちゃんもみんなの事を考えて我慢出来るのも偉いしあおちゃんも「やだっ!」って自分の気持ち通せたのもえらいよ!(あおちゃんは人の気持ちを考え過ぎて自分の気持ちを押し殺してしまいがちなので)とみんなの前で伝えました。あおちゃんがカメを逃がすのを見守るみんな。「あ~浮いている!気持ちよさそうだね!」としばらくカメを見守り移動し始めると、まだカメを見ていたしょう君が「あっ!今カメ生き返ったかも!」と叫び、またみんなが池の方へ!「波に揺れただけじゃない?」とみんな笑いながらも「生き返ったらお母さんのいる方に行って会えるかもね!」「今度またカメ見に来ようね!」とみんな。死んでいるとわかっていながら「生き返るかもしれない」という思いで暑い中松見公園まで歩きカメのために逃がす場所も考え「お母さんに会えるといいね」とそこまで思いやれる子供達にじ~んと心打たれる一日でした。      あずみ

 

この日1時近くに園ワゴンで迎えに行きました。カメがね!カメがね!と興奮しているみんな!よかったね~!と返事、、、でも途中で死んでいたカメと知った私は「え~死んでるなら土に埋めればいいじゃん!」と見も蓋もない事を言ってしまいました。つまらない大人です!笑

 

こんな風に子供の頃に楽しい!楽しい!って事は昨日も今日も明日もあって365日こんな日が続いていくと、大人になって大変なことがあっても嫌な事があっても辛いことがあっても「まっいいか~!」ってポジティブな考え方が癖になって前向きに捉えて何とかそこを乗り越えてくれたらいいな~って思っています。

ハイジでは喜怒哀楽を出す事で褒められたりもします。自分の怒と哀は出さないで頑張って来た子が怒と哀を全身で表現している子をみて褒められたりしていると「ガマンなんて、もうしない!ばかばかしい!自分を出そう!」と出し始める。そして本当の姿をさらけ出して一人一人の取り扱い説明書が出来る。そして素の自分が出て楽になる。ストレスを感じない。病気も逃げていく。もし病気になっても楽しさを知っているので治療も頑張れる、あの頃に戻りたい!のあの頃を知っている!

とは言っても、、、大人が怒と哀を出させる環境を確保するのは難しいのかもしれない。

いくら泣いて怒ってもいいよ。いくら怒鳴り散らして叫んでもいいよ。と言えてそれを満足するまで付き合う事は大人が一人では出来ない。一番難しい課題なのかもしれない。頭がおかしくなるくらい泣いていたら可哀想に思えるし、辛そうだし、こっちも辛くなるし、うるさいし、どうにかこうにかやめさせたくなる。

途中でやめさせると、もう泣いても無駄。泣いたら迷惑。泣いたら嫌われる。泣かない。泣けない。我慢。我慢。そして喜も楽もうまく表現出来なくなってしまって自分でも自分の事がわからなくなってしまう。

 

1978年~1988年生まれに生まれた人は30才~40才で2008年~2018年10才から0才です。大人は子供の人生の倍以上生きています。経った数年しか生きていない子供は一人でご飯は食べられないし、寝る事も出来ないし、排泄も一人では出来ない。そう、、、大人がいないと生きていけないのが子供です。

そんな事ずーっと前から知っています。

そして私達だって20年30年40年前は子供でした。そんな事もずーっと前から知っています。

もしかしたらやっと授かってやっとやっと生まれてきた子もいるかもしれない、、、

今まで大事に大事に育ててきた我が子、、、もし何か他人に迷惑をかけたり困らせる事があったり自分の思った通りに動いてくれない時など、、、

この子が悪い。私は悪くない。だからこの子の事を叱る、怒る。ちゃんという事をきかせる。自分の思い通りに動いてもらう。

これがもしかしたら自分の体調が悪かったり何か大きな不安があったり悩みがあったりしていつもなら許せる事がこの時は許せない時があるかもしれない。

 

人の笑い声を聞いただけで辛くなる事もあるかもしれない。

何にもいい事なんてなくてどうせ私なんてって思ってしまうかもしれなし。

それでもついこの前生まれた子供達は何にも悪くない。そう言い切れる。

言い切りたいけどそれはどんなに強くて優しい人でも100%無理な事。

そんな事もずーっと前から知っています。

でもどうにかこうにかここを何とか脱出しないと、と頭ではわかっていて、でも色々あって前を向けない。後ろも向けない。立ち止まってうずくまってどんどん下に沈んでいっている時はもう沈むしかない、、、

でも底が見えてきた時、一番に手を差し伸べてくれるのは絶対子供達です。

そして今日も元気に走り回って遊んでくれているみんな!

「あっ!あの時はごめんね~今日も楽しく遊ぼうね~!」とはなかなか口が裂けても素直には言えないけどちゃんと心の中で思っています!  ありがとね!