2026年5月「ハイジ」

今年の卒園児10人が4月から小学校に入学しました。初めての小学校 初めて会う先生 初めて会う同級生 初めて入る教室 初めての授業 初めての自分の机と椅子…初めてづくしの小学校。子どもも不安だったろうけどパパやママの方が不安で仕方ない様子でした。(卒園しても遊びにくる子もいるので毎日様子を聞きます)

子どもにとってハイジで過ごした時間は…仲良しの大人がいて、何でも言い合える友だちがいて、可愛い弟や妹がいる第2のお家みたいな感じだったと思っています。自分が今何をしたいか?何をしたくないか?自分が今どう思ったか?何が嬉しかったのか?何が嫌だったのか?など自分の気持ちと向き合う時間を過ごしてきました。でも…小学校では今何をしたいかわかっていても待つ時間があったり、座っている時間が長かったり、周りの人たちの言うことを受け入れていく時間が多くなることは避けられないはずです。でもその時間の中で自分なりに友だちを作って、自分のやれること楽しいことを何とか見つけて、学校でも自分の居場所を毎日模索している…そんな感じでがんばっているようです。

子ども以上にパパやママの不安が大きくなってしまっているかも?と感じる時もあるので…そんな時は今の気持ちをどうやって収めるか?どうやって不安を解消していくか?などを話し合うようにもしています。

私は一生!しつこいくらい子どもとパパママたちの後ろ姿を見守っていくつもりでいます!これからもよろしくお願いします!(苦笑)

給食スタッフのたかちゃんは働いて8年になります。最初の出会いはたかちゃんの子どもをハイジに預けることがきっかけだったので付き合いは13年になります。たかちゃんの子どもは長男(障がいのある高校生)と長女(中学2)です。ここでは書き切れないくらい大変なことも沢山あったと思うけど、家族みんなで乗り切っているなぁ~と感じています。そんなたかちゃんがきょうだい児支援(障がいのある子の兄弟が元気になるような支援)を始めることになりました。

たかちゃんが見つけた絵本( ぼくだってとくべつ   文 ヒトデ  絵 ももろ)

がとってもよかったので簡単に紹介しますね。

僕には障がいをもつ弟がいる。弟の面倒をみるとみんな褒めてくれる。大変なこともある。目が離せない。お父さんとお母さんは弟にかかりきり。僕に構って欲しいけど…仕方ないよね。ある時、何でも話を聞いてくれるねこちゃんと出会う。そこで初めて「弟が大変なこと」「パパとママは弟に構ってばかりいてまるで自分がそこにいない存在のような感じがしてしまうこと」「大変なのは弟やパパとママだから僕が悲しいことがあってもパパとママには何も言えない。心配かけたくない。迷惑かけたくない。と思っていること」全てをねこちゃんに打ち明けた。その後もずっとねこちゃんは自分の話を聞いてくれた。悲しいことがあった日、ねこちゃんが「パパやママは君のことが好きさ。3人のときに少しだけ話してごらんよ」と背中を押してくれたので話をしてみることにした。パパとママとぼくの3人だけの時間。独り占めできた時間。それだけで嬉しかった。パパとママに「悲しいことがあったこと」

「弟の面倒をみることは大変なこと」「たまにすごくさみしいこと」などを初めて打ち明ける。パパとママはギュッと抱きしめてくれた。ぼくのことを心配してくれた。話を聞いてくれた。わかってくれた。胸の奥の重たい物が軽くなった。

僕の弟は特別だ。でも僕だって特別。

という障がいのある子の兄弟の気持ちを切実に伝えてくれるあったかい内容の絵本です。

私はこの絵本の中で弟に障がいがある。だから「仕方ないよね。」ってところがとても気になりました。これは普段何気なく生活している人でも同じように「仕方ないよね。」って諦めることは沢山あるように感じています。

例えば

子育てでいうと、子どもを産んでママになったのだから夜泣きで大変なことになったとしても仕方ないよね。(でも本当は…夜泣きは本当につらかった。誰かに代わって欲しかった。一晩でいいからゆっくり寝たい)

仕事でいうと、自分で決めた職種なのだから少しくらい大変なことがあっても仕方ないよね。(でも本当は…こんなに忙しいなんてやっていられない。それに人間関係でこんなに大変な思いをするなんて…もうムリ)

介護でいうと、自分を育ててくれた親なのだから面倒みるのは当たり前であって仕方ないよね。(本当は…ここまで大変だったとは知らなかった。親の世話は子どもがやって当たり前って思われているからがんばってやっているけど本当は毎日逃げ出したい気持ち…)

過去のことでいえば、昔あの人に嫌なこと言われたなぁ~それでもあの時はあの時であの対応しかできなかったんだから仕方ないよね。(本当は…あの一言でこんなに傷ついている。今ならいくらでも言い返すことができるのにどうして言えなかったんだろう。悔しいし許せない気持ち…)

(でも本当は…)のところをガマンしないで、絵本のようにねこちゃんに出会って自分の気持ちを理解してもらったり共感してもらうことで自分の気持ちに気が付いて何かを変えるきっかけになったりできればいいんだろうけど…

でも…誰かに理解してもらったり共感してもらっただけで人の気持ちって変わることはとても難しいってこともわかっていたりもします。

それでも…(でも本当は…)って思っていることをなかったことにして仕方ないよね。って終わらせてしまうことは自分の気持ちを大切にしていないってことでもあるような気がしています。

(でも本当は…)という気持ちに気が付かない。気が付いていても気が付いていないふりをして過ごしているってことはずーっとずーっと走り続けている感覚に似ているかもしれません。走っていれば走っている景色しか見えないので(本当は…)って気持ちに気が付かなくてもいい。スピードを落としたら(本当は…)って気持ちに気が付いてしまう。自分の(本当は…)って気持ちに気が付いてしまったら止まるしかない。考えるしかない。変わるしかない。それはとても勇気がいるし、こわいことでもある。

でも…でも…ずっとずっと走り続けたら倒れてしまう…

周りでどんなに誰かが(スピード落として~)(がんばらないで~)(無茶しないで~)って叫んだところでスピードを落とせない。どうしたら倒れないようにスピードを落としてもらえるんだろう?と一生懸命考えました。

でも…ハイジがあるってことだけで充分なのかも?とも思えてきました。

4年前、父のお葬式の前日に私はとーっても具合が悪くなってしまい母がその状況を見て「それならハイジ行ってこい」と言いました。特にやることもなかったので「あっそう?行ってくるね」と車に乗ったら具合がよくなってきてハイジが近くなるとすっかり元気になっていたことがあります。これには自分でもびっくりでした!

ハイジに関わってくれたみーんなが『ハイジがある!』って思うだけで元気になってくれたらいいなぁ~と思っています。

2026/05/18