2025年1月「点」

年末年始のお休みが長かったことや体調がすぐれなかったことも重なって「ハイジいかな~い!」と言う子もチラホラ…「そりゃそうだ~おうちがいいよね~」など、なぐさめの言葉をかけながら何とか日常を取り戻しています。
逆に長い休みが続くと「ハイジいつ?」「明日?」とハイジにくることを楽しみにしていた子もいて…「あ~よかった~」と心底ほっとします。

子どもと毎日過ごしていつも思うことですが、子どもって本当に素直です。
私が疲れていたら元気なスタッフの方に遊びにいくし…
私が元気なら遊んでくれるし…
私がやることいっぱいなら近づいてもこないし…
私がへこんでいたら何となくなぐさめてくれるし…
あ~子どもには嘘がつけないなぁ~
というか見透かされているなぁ~と思っています。

見透かされているという内容のハイジだよりを書くと決めたときから(どうせ見透かされているから大人な対応はやめよう)と思いました。というかそもそも大人な対応はしていないのですが…(苦笑)

例えば
・私のスリッパを遊びの延長で外に投げられたら「あ~」と言って自分で戻していたところを「ちゃんと戻して~!」とすねてみたり
・「ゆうこじゃやだ~○○(スタッフの名前)がいい~!」と言ったら「あっそう!」と言ってたところを「ちょっと~ゆうこの心がキズつくんですけど~!」と伝えてみたり…
・子どもが色々あってパパやママと話し合いしようと思っていてもなかなかうまくいかない。そんな時は子どもに「ごめん…なかなか力になれない…」と素直に子どもに伝えてみたり…
子どもたちは「えっ?何言っているの?」と言った顔してどこかにいっちゃいますが…
一応伝えています。

この仕事をしていると子どもから親の話、親から子どもの話をよく聞きます。
子どもがせっせと折り紙や空き箱で工作した後、必ず「これパパとママに見せる!」と言ったり、公園でお花を摘んだら「パパとママにあげる!」と持ち歩いたり…
離れていてもずっと頭の片隅にはパパとママが存在しているって感じです。

親は親で子どもが悲しい時やつらい時などは、心配で仕方ない。早め早めの行動を心掛けて悲しいことつらいことがないようにと動いているって感じです。

でも親の思いが子どもに伝わってないことも多いし、子どもの思いが親に伝わってないことも多いです。

子どものことが大事    親のことが大事
子どものことが大切    親のことが大切
子どものことが大好き   親のことが大好き

それだけのことが上手く伝え切れていないということが(もったいないなぁ~)って思うことが度々です。
子どもって生まれて数年しか経ってないから季節や月日や時間の感覚や何年後何十年後などわからない。子どもって過去や未来ではなく「今」を自由に元気に楽しそうに夢中で何のストレスも感じずに過ごしている!まるで晴天の空の下で遊んでいるって感じかなぁ~

でもどんなに晴天の空の下で遊んでいても親の存在っていつもどこか頭の片隅に存在していて…晴天の空の中に点がひとつある感じ。いつもこっちを見ている。一緒にいても一緒にいないときも、その点はなくなることはなく必ずそこに存在して見守ってくれている感じです。

ただしその点は何かの拍子で大きくなってしまうこともあります。
例えば親の不安や悲しみや怒りなどによってわ~っと点が大きくなってしまう。そうなったら(晴天の空の下で遊んでいる場合じゃない。早くその不安や悲しみや怒りを鎮めて点を小さくしなくちゃ!)と必死に親が笑うように親の機嫌が戻るようにと、自分のことは全て後回しにして自分の気持ちに蓋をして親の願う理想の子ども像に近づくために努力をしてしまうかもしれません。

親にすれば点が大きくなろうが小さくなろうが気にせずに自分の好きなことをして自由に楽しく過ごして欲しい!と願ってしまうところですが…
子どもはそうはいかない。親も兄弟もみーんな一緒に楽しく過ごそうよ!って伝えてくる感じです。
その伝え方が様々で、泣いたり、叫んだり、テンションが上がったり下がったり、動かなくなったり、食べなくなったり…
身体をはって訴えてくるので親は頭を抱えてしまうけど…頭を抱えることでブレーキがかかり立ち止まることができる。
立ち止まった時に、何がどうしてこうなったか?何か異変があったんじゃないか?ガマンさせていた?あの時どうだった?と振り返ることができる。そしてどんどん深く考え始めたとき、自分が幼かったときってどうだったんだろう?楽しかった?つらいことあった?子どもと同じだった?全く違う?兄弟との関係は?など…
自分の空は晴天だったのか?点は小さかったか?点は大きかったか
子どもには晴天の空の下で自由に過ごして欲しいと思っていても自分自身は晴天の下で過ごしていなかったなぁ~?と気が付いたときに、もしかしたら違和感を抱えてしまうかもしれないです。

でもそんな違和感は自分の好きなことに没頭したり誰かに話を聞いてもらったりすることでどんどん薄まっていくかも?
楽しいと思える毎日を過ごしているうちに覆われていた点なんてどこかにいっちゃうかもしれないとも思っています。

しばらく前にのりこからもらったカレンダーにこんなことが書いてありました。

【おもいっきり泣き、笑い、書き出す。つまり「吐き出す」事で、人生画期的に活性化します】
そうそう!吐き出すことで何かが変わるかもしれない!

幡野広志さん(写真家)の本には
【自分がしあわせなることが、いちばんみんなをしあわせにするんですよ】
と書いてありました。

子どもには何がなんでもしあわせになって欲しい!と思っているなら自分が何がなんでもしあわせになるしかないのかもしれないです

子どもはパパとママがしあわせじゃないと心配し過ぎて自分のことどころじゃなくなってしまいます。
自分だけがしあわせになることなんて出来ないっていつも思っている気がします。

疲れたら休んだり、好きなことを見つけたり、誰かに何かを吐き出したりして
「もう心配しなくて大丈夫だよ…」って少しでも安心させてくださいね。

安心したら…子どもは晴天の空の下で思いっきり遊べます!  2025/01/30