2021年5月「本音」
ハイジが始まった当初はどんな時でもとりあえずは散歩に行こう!と決めていたところがあります。雨でも傘をさして農道を歩いたりカッパを着て水溜りに入ったり・・・
どんなに散歩日和の晴天の日でも「行きたくない」と言う子もいたけど何とか連れ出して散歩の楽しさを味わってもらおうと努力していました。
今は・・・???
子どもたちは朝から塗り絵 アイロンビーズ作り 段ボールで工作 砂遊び ブロック シャボン玉 虫取り などとても忙しそうに遊んでいます。「散歩行こっか~?」と誘っても「えっ?今日は行かない!」と言う子もいます。「行きたい!」と言う子だけで行くこともあるし・・・
私が「今日は全員で行くよ」と決めれば「わかったよー!行くよー!」と靴を履き出す子もいます。
どうして朝からこんなにやることが次々にあって忙しいんだろう・・・と思います。
遊びたい事は自分で決めます。遊びたい子も自分で決めています。その子が「ヤダッ!」と言ったらどうしたら遊べるか?を考えなくてはいけないし、せっかく楽しく遊んでいたけど急に「もうやんない!」と言われたら「どうして?何で?」と詰め寄って揉めることもしばしばです。折り合いをつけながら何とか自分のやりたいことをやりたいメンバーで作り上げていく!
大人の目線や大人の感情はおかまいなしで遊びに集中している感じです。
大人ってどうなんだろう?大人になってから好きなことをしてみてください!と言われても「えっ?好きなこと?今は無理でしょう!お金も時間もないよ・・・この子のために色々頑張っているんだから」という返事が返ってきそうです。
もちろん子どもにとってそれはそれで嬉しいこともあるかもしれないけど・・・
パパとママが120%全力で自分に人生を捧げてくれているってことはパパとママの気持ちに自分も90%くらいで応えてあげないと申し訳ないという目には見えないプレッシャーのような気持ちになってしまう気がします。
自分のためにお金を使って習い事に通わせてもらったり
自分のために時間をかけてご飯を作ってもらったり
自分のために部屋中きれいに掃除してもらったり
自分のためにやりたいことを全部ガマンして時間をお金と使ってくれる
でも、パパとママの気持ちと同じように応えようとすると、そっちばかり気になって自分の気持ちが後回しになってしまう気がします。いつも頭の隅っこのどこかにパパとママの声が聞こえてくる感じです。
そうなると自分の気持ちよりパパとママの気持ちの方が大きくなってきて自由な選択ができない。
自分の選んだことは、自分以外の人からすれば不正解だとしても自分で選んで決めたことだから大正解!!
のはずなのですが・・・
今年に入ってから父と母の体調がイマイチで入退院を繰り返していました。今はとても元気です。
少し前まで父とも母ともお互い言いたい事を言い合っていたのでちょこちょこ揉めていたけど、今は殆ど揉めることはなく穏やかに過ごしています。
ある日、家にいる母がテレビのCMを見て「アリナミンを飲んでみたいから買ってきてくれっか~」と言いました。「あっそう・・・でもちゃんとご飯食べているし疲れないようにすればいいんじゃない?」と優しく伝えました。「あっ・・・そうだな~」と返事が返ってきました。
が週一回、父と母を床屋や病院や買い物に連れて行ってくれているあすかママに母が「アリナミン欲しいから買ってきてくれっか~」と頼んだらしく、あすかママから「ゆうこさんアリナミンの種類が沢山あるけどどれがいいですか?」と電話がかかってきました。
あちゃ~私には頼めないと思ったからあすかママに頼んだんだ~とびっくり!
そんなに欲しかったのか~?ちゃんと言ってくれればよかったのに・・・と思いつつ最近私は父と母のために文句も言わず家事などをそこそこがんばっているから、それを見たらもうこれ以上何も言えなかったんだろうな~とも思いました。
そしてちゃんと本音を言える第三者であるあすかママがいてよかった~と思いました。
ついこの間まで対等に何でも言い合えたけど、今は父と母の行動やお金の面なども全て把握している立場になった私・・・私の気持ちひとつで全て決められるといっても過言ではない感じです。ということは私が強者になり父と母が弱者という対等ではない関係になっています。
父と母のことを思って120%の気持ちで動いていることは何一つ悪いことではないし、むしろそれは正しいことかもしれません。
でもこれでは弱者の人は『本音』を言えないで多少なりともガマンをしている状態かもしれません。
りんごの木の柴田愛子さんもしばらく前にこんなことを書いていました。
【強者は弱者の心が見えないけど、弱者は強者の心が見える】
まさにこれです!
やはり得意ではない食事作りなどの家事はできるだけ手抜きでやっていこう!!と思っています。
2021年6月6日